筆者は大学教員で小学生の子どもを育てている。朝、たっぷりと寝坊をした子どもは朝食そっちのけで友達のエピソードをしゃべりまくる。筆者も朝は時間との戦いだ。子どもを急かしながら、食洗機に空いたお皿を入れていく。
そんな親のことなど気にもせずに、子どもは悠々とランドセルを背負い、靴を履くのだが、そこで忘れ物に気づき、また部屋へ戻る…そんなドタバタを繰り広げ、ようやく送り出した筆者の目にはふと涙が。
涙の原因はわからない。ただ、我が子にしゃべらずにはいられない友達がいるという喜び、そんな我が子の話をゆっくり聞く余裕のない自分への情けなさ、子どものマイペースさにイラついたこと、口うるさい自分に嫌悪感を抱いたこと。
どの家庭でもありそうな朝の光景だ。
筆者は言う。子どもと暮らすということは感情の海を泳ぐような営みかもしれない、と。
しんどすぎて笑ったり、楽しすぎて疲れたり、怒りながら心配したり、寂しい気持ちを喜んだり、嬉しく思いつつ悲しんだり、全身全霊で愛しているけど今この瞬間だけは嫌いだったり、矛盾しまくった感情の波が、大小入り乱れながら次から次へと押し寄せてくる。
このやっかいな海がそれなりに優しくて豊穣なのも事実で、仕事のミスや人間関係のいざこざも洗い流してくれる。何度この海の包容力に助けられたことだろう。
ありがとう、うっとうしいな、どうか健康に、めんどくせぇ、大好きだよ…
今日も、明日も明後日も、息継ぎのたびにつぶやきながら、食洗機に皿をつっこんでいく。
まったく、子育てというのはこういう日常の繰り返しなのだ。皆さんの心の波を、こんな文章で表現されているのを見つけて、ご紹介したくなった。
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