シンパシーとエンパシー

シンパシーは聞いたことがある、という人もいるだろうけど、エンパシーはどうですか?

シンパシー(Sympathy)とは、相手の痛み、悲しみや苦しみを共感する感情の自然な動きである。
一方、エンパシー(Empathy)とは、別の価値観や考えを持つ相手に対して、自己を投影して相手が何を考え、どう感じているかを想像する知的な作業、だということだ。

幼稚園ではどうだろう?さくら組、年少組くらいまでは脱中心化の真っただ中である。
脱中心化、とはピアジェの発達段階における過程で、自己中心的な思考から脱することをいう。
幼稚園での集団生活は子ども達にとって家庭と違い、自分勝手にできない不自由な場所。だからこその学びがある。同じクラスで泣いている子がいたら、なぜか他の子が泣き始めることもある。(不思議!)これもシンパシーなのだろうか?同期してしまうのか?
おもちゃの取り合い、これもよくあること。こういう時は教員が中に入り、お互いの意思を確認して
「貸してあげてくれる?」「いいよ」
「あとで貸してくれるって」「わかった」
などなどのやりとりをする。

子どもの我慢、葛藤がある。
友達の存在に気付き、友達の思い、自分の気持ちに気付いていく。

ここまで書いてきて、
思うに、他人の痛み、悲しみ、苦しみには同調しやすいのではないか?と気づく。
反対に、他人の喜びに同調するのは、難しい。
大人になれば嫉妬、妬みという嫌な感情があるから。
高校野球を見ていて、20人の選抜チーム全体が喜びに沸く、野球部全体が喜ぶ、卒業生を含む学校全体が喜ぶ、街が喜ぶ、関係ない私まで喜ばせてもらう。こういうのって、いい。

幼稚園では体育遊びの時、グループが勝つと、全員で喜ぶことをほとんど強要する。
自分がどこに存在しているか、を強く意識してもらいたいということと、
喜ぶ、という感情を表現することを身に付けて欲しい。
グループ、赤チーム、白チーム、クラス、と組織は大きくなっていくのだけれど、
そこも意識させたい。年長にもなれば、これは可能なことだ。
だ、け、ど、教員が意識して伝えていかなければ、何も育たない。

年長組になれば、自然とエンパシーを感じられる子に育っていて欲しい。

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