友達や親に平気で暴力をふるったり、冷酷ないじめを繰り返したり、逆にいじめ続けられたり。
あるいは授業中に教室を歩き回り、教師の話を聞けず、私語を続けたりして学級崩壊に追い込むようなことが日本で普通に起こっていることはご存じの通りだ。
親御さんであれば、我が子に限って、と思うだろう。
生まれてから8歳くらいまでオオカミに育てられた少女の話をご存じの方もいると思う。
牧師に発見されてから手厚く看護されたが、17歳くらいになっても言葉をほとんど話せず、床に置いたミルクを舌を使って飲み、人間らしさは育たなかったという。知性も人間性も未発達のまま亡くなったそうだ。
人の親であれば、自分の子どもが明るく元気に、思いやりがあり、頭もよく、できれば何かに秀でた人間に育って欲しいと思う。当然だ。そういう子どもが多く育っていくことが日本の未来にとってとても大事なことだ。そのためには、どうしたらいいのか?
前述のオオカミに育てられた少女が、普通の家庭で普通に育ち、10歳になってからオオカミと暮らしたとしても、人間性は損なわれないはずだ。オオカミにはならない。
幼少の頃の環境と教育、これこそが人間の人格形成や能力の発達にとって最重要なのだ。
感情も、知性も、運動も、脳の力だ。
脳を豊かに育むこと。どんな保育園?幼稚園?でどんなふうに育てられるか。
家庭の教育ももちろんだけれど、どんな幼稚園を選ぶか、にかかっている。
英才教育の無意味さについては、学年だよりにも何度も書いている。親の安心感(早めに算数やひらがなを覚えさせておこう!)のために、興味のないドリルをさせることの無意味さ!
楽しく、好奇心を駆り立てられるような物事でないと、子どもは好きにならないし、好きじゃないことをどんなにやったとしても、身につくことはない。身につかないから、と何度もやらされる苦痛!何度もやらされたら身についたとしても、その知性は一時的なもので発展しない。
むしろ、好きな虫を追いかけたり、造形に夢中になったり、そこから発展する子どもなりの何か、創造性などは計り知れないほど魅力的だ。
臼井幼稚園で行なう色々な活動が、すべての子どもにとって、魅力的で得意で、好きだ!と思えるものとは限らない。だけど、本を読むのが好きだ!とか走るのが好きだ!とか何か好きでかつ得意なものが一つ以上はあるはず。まずは担任が大好き!というところから始まる。
確かに、好きな先生の教科は一生懸命勉強したものだ。大人だって身に覚えがあるはず。
好きこそものの上手なれ!
子どもの好きなことを見つけよう。ゲームに翻弄されないように!!
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